三笠宮殿下 薨去
はじめに
先日、タイの国王陛下が崩御なされ国内で大変な混乱が起きたことが記憶に新しいなか、わが国でも皇族のお一方が薨去されました。
三笠宮崇仁親王殿下 薨去
*2大正天皇の第4皇男子で、天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(たかひと)親王殿下が27日午前8時34分、心不全のため、東京都中央区の聖路加国際病院で薨去(こうきょ)された。100歳で、皇位継承順位は第5位であられた。戦時中は陸軍の軍人、戦後は古代オリエント史の研究者として活躍された。本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は約1週間後に東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地で執り行われるとみられる。薨去により、皇室は19方、皇位継承資格者は4方となった。
親王殿下は100歳と生前においては皇室内で最高齢であらせられ、戦前は陸軍に所属していたそうです。
皇族という貴いお方がお隠れになりとても心を痛めております。
皇族減少
本日の三笠宮殿下の薨去の知らせを聞き、僕はある問題を思い出しました。
三笠宮殿下は100歳という長寿であったわけですが、上記の引用にも書いてあるとおり皇位継承資格者は4方となったわけです。
あとの4方はどのようなお方なのでしょうか。
・皇太子徳仁親王殿下 56歳
・秋篠宮文仁親王殿下 51歳
・悠仁親王殿下 10歳
・常陸宮正仁親王殿下 80歳
お気づきでしょうか。100歳の三笠宮殿下だけではなく皇位継承者全体が高齢化しているのです。
これが、平成に入ってから散々問題視された皇位継承問題です。
平成における皇位継承問題
戦後、皇室の法典である皇室典範は改正され多くの皇族が一般人へと皇族離脱してしまいました。(11宮家51名)この影響で皇位継承権を持つ皇族が大勢離脱し、ついに皇太子殿下以降の皇位継承皇族がいなくなってしまったことが問題になったのです。
悠仁親王殿下がお生まれになって1代先まで皇室は存続することができますが、このままでは将来的に皇室は確実に消滅してしまうことは火を見るより明らかであります。
解決策は出尽くした
正直私はここで方法論を考えることはしません。
なぜならばこの議論は散々やり尽くした感が否めないからです。
伝統に根ざして男系の旧皇族を復帰させるか、伝統を捨て女系天皇を認めるか。
こんなものは議論に当たらない。伝統が皇室を支えているのだから答えは一つです。
あとは国民と政治が行動するしかないのです。
さいごに
三笠宮殿下の薨去で喪に服すこともすべきですが、皇族が次々と減少する現状を国民全体がいい加減考える結論を出す時がきていると私は思っております。
物は金で買えますが血は金じゃどうしようもありません。
日本の歴史と文化の権化たる天皇陛下ならびに皇族の皆様は日本のかけがえのない宝であり、(失礼な表現ですが)一度無くなってしまうと二度と取り戻すことはできないのであります。
天皇陛下、皇室の御治世が千代に八千代に続くことを心から願っております。
*1:「三笠宮崇仁親王」『Wikipedia』<https://ja.m.wikipedia.org/wiki/三笠宮崇仁親王>、平成28年10月28日閲覧。
*2:「宮内庁が午前10時半すぎに発表」『産経ニュース』2016/10/27、<http://www.sankei.com/life/news/161027/lif1610270027-n1.html>、平成28年10月27日閲覧。