ドゥテルテ大統領は何がしたいのか
はじめに
こんにちは東条です。
もう帰国してしまいましたが、先日フィリピンのドゥテルテ大統領が来日して日比関係良好をアピールしており、気になったので書こうと思います。
以前のフィリピンの大統領
さて、まずフィリピンの大統領というと多くの人は知らないと思います。
前の大統領はアキノ3世といい、マルコス独裁政権に抗ったニノイ・アキノ、民主化後の大統領コラソン・アキノのご子息です。
ベニグノ・アキノ3世前大統領*2
フェルディナンド・マルコス元大統領 *3
ドゥテルテ大統領って何者?
前述した通りフィリピンの大統領を皆さんはほとんど知らないと思うんですね。それはやはり日本メディアの露出が少ないからに他ならないわけです。
つまりドゥテルテ大統領がここまで有名になったのはメディアにたくさん報道されているからなんです。
ではなぜドゥテルテ大統領はこんなに人気なのでしょうか。
麻薬撲滅戦争
ドゥテルテ氏を語るにはドゥテルテが大統領になる前を説明しなければなりません。
ドゥテルテ氏は1988年にダバオ市長に選出され、1992年と1995年に改選、3期務めました。4期以降はフィリピン共和国憲法の多選禁止規定に引っかかるため、1998年にダバオ初となる下院議員となり2001年まで務め、2001年に再びダバオ市長に立候補して当選し、2004年と2007年に改選され3期、合計で市長職を6期務めました。*4
このダバオ市長時代にドゥテルテは自警団を容認し犯罪者を超法規的に殺害してダバオを「東南アジアで最も平和な都市」へと導きました。
目覚ましい成果を出したことによりドゥテルテ氏はダバオ市長を計6期という長い期間を続けることができたのです。
そして、2016年の大統領選挙。ドゥテルテ氏は国民の支持を追い風にし公約を出しました。「麻薬中毒者と密売人を皆殺しにする」「自主すれば命は助けてやる」という内容です。
つまり、ダバオで成功した自警団を利用した犯罪者撲滅作戦を国家規模で行うことを宣言したのです。
「ぶっ飛んでます大好きです」
こうして見事選挙に勝ったドゥテルテは宣言どおり犯罪者をその場で殺すことを容認したのです。
その効果はたったの2ヶ月で顕著に現れ、多くの麻薬常用者が自首し、自首しなかった人は皆殺しになりました。
この社会悪を根絶されるために悪にもなる姿勢は私は賞賛できると思います。
暴言大統領
また、やることが過激な上に暴言がマシンガンのように出てくることも人気の秘訣のようです。
少し紹介します。*5
「フィリピンを壊そうとする人間は覚悟しておけ。法律を盾に逮捕から逃れたり抵抗はさせない。特に暴力で挑んでこようとする奴らには「こちらから始末しろ」
綺麗事をほざくな。犯罪者の人権を主張する人間の前で処刑する様を見せてやる
裁判など必要ない。治安を乱す犯罪者は全員マニラ湾の魚の餌にしてやる
私は警察に薬物乱用者への懲罰を命じたわけじゃない。私は宣戦布告を命じたのだ。本物の戦争だよ
就任したら腐敗した官僚や警察は皆殺しにする
いかがでしょうか。野生丸出しのどう猛な言動ですよね。
しかしフィリピンという治安が良くない国家に住む国民にとっては、こんな力強くカリスマ性を出す人を望むのでしょう。
ドゥテルテ外交
さあ、ドゥテルテ大統領の面白エピソードはここまでにして、本題に入りたいと思います。
ドゥテルテ大統領は国内の強権的な(狂犬的じゃないですよ)政治手腕で注目を集めていますが、外交においても興味深い行動をしております。
それは「アメリカへの反発」と「中国への接近」で、これがセットになっていることです。
アメリカへの反発と中国への接近
フィリピンは戦前にはスペインの過酷な植民地支配を経験し、米西戦争によって主従国がアメリカに変わりました。それ以降、フィリピンは独立をした後も属国のような扱いを受けることになるます。
つまり、フィリピンの外交はフィリピンの国益に沿った独自外交を行うという、国家として当然としての権利を奪われたのです。これは独立後も変わることはありませんでした。
(これは日本にとっても共通する話です)
実際、中共政府はフィリピンの事をアメリカの傀儡だと認識し常に裏にいる米政府の存在を警戒していました。
しかし、ドゥテルテ大統領の出現でこれが一変します。ドゥテルテ大統領は独自外交路線をとり「アメリカ支配へ反発」しました。アメリカの息のかかっていないと中共政府を安心させ、「中国へ接近」し見事に2.5兆円の支援金をもぎ取ることができました。
ドゥテルテ大統領は何がしたいのか
中国から支援金をもらってアメリカから離れると聞くと、媚中になって日本の危機になると考えるメディアも人もいます。しかしそれは違います。
ドゥテルテの目的とはズバリ「フィリピン民族独立」であるのです。
何百年も白人の支配を受けてきたフィリピンは既存の政治家では、全くこの米国支配は変わりませんでしたが、ドゥテルテによって自分たちの力でフィリピンの国益を追求することができるようになったのです。
日本とのシンパシー
日本も戦後ずっといままで71年間アメリカの支配を受けています。時の政権がアメリカの政策に歯向かったらどうなったかは、今更話をすることもないでしょう。
日本もアメリカの顔色を伺わなくても国益を追求することができるようにならなければ、日本人の未来は明るくはならないのであります。
さいごに
自主独立を果たそうとしているフィリピンを媚中と呼ぶメディアに騙されず、地頭を使って世界情勢を見ることがこれからの日本人に求められています。
いつか日本を日本人の元に取り戻せる事を切に願っております。
今日はこれで終わりにしましょう。
ありがとうございました。
*1:「ロドリゴ・ドゥテルテ」『Wikipedia』<https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ロドリゴ・ドゥテルテ>、平成28年11月3日閲覧。
*2:「ベニグノ・アキノ3世」『Wikipedia』<https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ベニグノ・アキノ3世>、平成28年11月3日閲覧。
*3:「フェルディナンド・エマヌエル・マルコス・イ・エドラリン」『Wikipedia』<https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フェルディナンド・マルコス>、平成28年11月3日閲覧。
*4:「ロドリゴ・ドゥテルテ」『Wikipedia』<https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ロドリゴ・ドゥテルテ>、平成28年11月3日閲覧。
*5:「フィリピン・ドゥテルテ大統領の過激発言集!麻薬撲滅策で治安回復」『歩叶コラム』2016.9.18、<http://arcanaslayerland.com/2016/09/18/duterte/>