東条の書斎部屋

政治ブログをふと作ってみたくなりました。試験的にやってみます。

テロ組織を社会から追放せよ

はじめに

今日は天気も良く過ごしやすい一日ですね。

今でこそ、こんな平和に暮らしていますが、ほんのひと昔前は違いました。

 

1990年代にはオウム真理教のテロによって多くの死傷者を出しました。

 

突然襲いかかる死。

 

この感覚を今の日本人は忘れています。

 

なぜこんなことを言うのか?

 

それは未だに日本にはテロ組織がのうのうと活動しているからです。

 

中核派非公然活動家を逮捕 免状不実記載の疑い
http://www.sankei.com/affairs/news/171117/afr1711170032-n1.html

 

 

オウムは許されないが…?

 

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現在、オウム真理教は名前を変え「アレフ」と名乗っています。

 

麻原が捕まっても未だに、名前を変え麻原の教義を持ち続け活動しているのです。

 

しかし、オウムは現在市民社会からの攻撃の的となっており、反オウムのデモや街宣はいまだに続けられています。

 

このように、過去にテロを起こしたオウム真理教は、国や社会からもつまはじきにされているのです。

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現代日本人には珍しく、日本社会を転覆する組織を国民が一丸となって糾弾するという素晴らしい行動が行われています。

 

しかし…

テロを起こした組織はオウムだけなのでしょうか?

 

答えは  ノーです。

 

忘れてはいけません。

冷戦期、日本を震撼させた極左テロ集団のことを。

 

彼らは日本を、国家を転覆させ共産主婦に基づいた、新国家を建設するために、暴行や殺人を厭わない集団でした。

 

彼らは多くの日本人を死に追いやったのにも関わらず、未だに大手を払って活動をしています。

 

オウムは許されないが、極左テロ集団は許されるのか???

 

日本の極左テロ集団

ここでは日本の極左テロ集団の中でも大きな組織を紹介しましょう。

 

革命的共産主義者同盟(革共同)

現在の新左翼の大元とされる組織。

(中核派革マル派第四インターの前身)

 

元々は日本共産党の一部であったが、1955年に日本共産党が暴力革命路線を捨てたことをきっかけに、急進的な左翼学生の多くがこれに反発、離反しました。

 

また、離反の理由として同時期にソ連においてスターリンの後継者であるフルシチョフスターリン批判によって、スターリンの悪行が知れ渡ったことも一因でありました。

(日本共産党ソ連のシンパだったため)

 

これを受けて、離反した左翼学生が反日共産党反スターリン主義の下、1957年に革共同が結成されました。

 

しかし、結成から内ゲバが激しく次々と分裂して行いきます。

キーとなる人物として、黒田、本多、西、太田の名前は覚えておいたほうがいいでしょう。

 

革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)

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革共同結成から2年後、1959年に革共同のキーマンだった黒田、本多派が革共同を離脱し、革命的共産主義者同盟全国委員会(革共同全国委)を結成する。

 

 

反帝国主義反スターリン主義の旗のもと万国の労働者団結せよ!」のスローガンの下、暴力革命でもって、政府を転覆し、プロレタリア独裁を行うことを目的としていました。

 

1963年の黒田派の離脱によって、初めて、中核派と名乗るようになります。

 

中核派は大衆運動と武装闘争を重視しており、日本の左翼ゲリラの急先鋒となりました。

 

中核派の事件

東京教育大学生リンチ殺人事件

1970年8月3日に東京都千代田区でおきた、拉致殺害事件。

中核派池袋駅前で街宣をしていたところ、革マル派学生である被害者を見つけ、その場でリンチしました。

 

その後、被害者を法政大学(中核派の拠点)に連れて行き、再び集団リンチを行い、被害者は過度な集団リンチにより死亡。

 

・渋谷暴動事件

1971年11月14日に渋谷でおきた暴動、殺人事件。

沖縄返還協定批准阻止闘争と銘打ち、渋谷で警戒中の機動隊、交番を襲撃した事件です。

 

この時、1人の警官が鉄パイプで殴られ失神。中核派がガソリンをかけ燃やされ、警官はその後死亡しました。

 

日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)

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1963年に革共同全国委から分裂した黒田派の組織。通称革マル派

 

中核派と同じく、「反帝国主義反スターリン主義」を掲げるが、63年の分裂から両組織の関係は殺し合いに発展するほど険悪でした。

 

その理由は、革マル派は理論重視・組織重視の組織で、思想・理論の学習による組織の維持・拡大に向けた活動を重視したためです。

 

中核派のように羽田闘争や三里塚闘争のような、暴力的な行動を他の左翼党派との関わりを絶っていたため、敵視されていたわけです。

 

かといって、無害なわけではなく反権力運動の一環としての妨害行為や、他党派への襲撃は行なっていたようです。

 

 革マル派の事件

中核派書記長内ゲバ殺人事件
1975年3月14日に起きた事件。中核派の最高指導者である本多延嘉が革マル派の構成員によって殺害された事件です。

 

これ以降、中核派は報復として次々と革マル派の構成員を襲撃し、両組織による報復の連鎖が続きました。

 

未だに彼らは活動している

いかがでしたか?

彼らはオウム同様、目的のためなら人命なんて考えない輩です。

 

なのにもかかわらず、彼らは

未だに監視されながらも、反国家活動に勤しんでいるのです。

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テロ組織を社会から追放せよ

オウムを国全体で追い込んだように、極左テロ集団も挙国一致で壊滅させなければいけないのです。

 

彼らにテロと殺人の落とし前を付けさせることこそ、秩序を重んじる保守、立憲主義を掲げるリベラルがやるべき課題ではないでしょうか?

 

テロ組織を社会から追放せよ!