国歌・国旗の軽視は許されない
はじめに
今日お話しするのは国旗国歌を軽視している教師に規律を要求したら人権侵害だ!と騒ぎ出した問題です。この手の話題はずっと昔から存在する問題で、今更始まった話ではありません。
しかし、最近ではアメリカで国歌を歌わないスポーツ選手をトランプが非難していたことが物議を醸しており、国歌国旗への軽視問題は日本だけにとどまっていないません。
国歌斉唱時の起立を拒否
早速、問題の事件を見てみましょうか。
「国歌斉唱の起立要求は人権侵害」入学式で起立求められ応じなかった京都の町議が人権救済申し立て
来賓として出席した小中学校の入学式や卒業式の国歌斉唱でこれまで起立してこなかった京都府井手町の谷田操議員(59)が13日、校長から起立を求められるなどしたことで人権や表現の自由などを侵害されたとして、京都弁護士会に人権救済の申し立てを行った。
http://www.sankei.com/west/news/171114/wst1711140012-n1.html
大阪ではすでに公務員の国歌斉唱時の起立を義務付けていますが、これは京都の話ですね。
まったく冗談じゃないですよ。
まだ活動家が起立しないだの、歌わないだのはわかります。しかし彼は公僕ですぞ?
しかも議員という政治に近い立場にいる人間です。
国家、社会に忠誠を誓えない人が果たして公人といえるのでしょうか?
国旗、国歌の意義
ではなぜ国旗、国歌に敬意を払わなければならないのか。国旗は国のシンボルで、国を1つにまとめる力があり、国歌は国民が皆等しく国家の一員である事を自覚させてくれるものです。
我らはこの国旗、国歌で団結した国家、社会また先祖に守られてきたわけですから、これを侮辱することはそれらを否定することになります。許せませんよね?
人権侵害なのか?
ここまでで、国旗や国歌の大切さを書いてきたわけですが、今度は反対する側へ反駁してみましょう。
反対した議員はこう言ってましたね。
校長から起立を求められるなどしたことで人権や表現の自由などを侵害された
さて?国歌斉唱は人権侵害なのでしょうか?
まともな人間なら理解に苦しむでしょう。
しかし、これは左翼界隈では当然に通じるものだったりします。
なぜかというと、彼は表現の自由や内心の自由の名の下に、反国家的な行動を実践しているのです。
自由。
一見してみてみると、反体制派や野党がいるように権力に抗う自由のように見えますが、まっていただきたい。
本来、賞賛されるべきなのは理不尽な「政府」に対して反対するのであって、国家(國體)そのものを否定することではありません。
では国家を否定するということはどんな意味があるのか?
それは、革命思想です。
それも国家のあり方を否定しているわけですから、急進的な左翼思想です。
私はそんな人間をよく知っています。
それは冷戦期、日本で暴力と殺人を繰り返した中核派や日本赤軍であります。
彼らは人権を隠れ蓑にして、反国家を標榜している
テロリストの思想の信奉者なのです。
人権侵害なんてまったくありません。
人権を一番考えていないのは彼らなのです。
さいごに
ここまでご覧いただいてありがとうございます。これからもこのようなテロリストシンパが出てくると思いますが、その時は日本人全体で糾弾するべきだと私は思います。
皆さんも一国民として、その気概を持っていただきたいです。
では。