ナチスと表現の自由
はじめに
最近、ナチスタブーに関するニュースを多く見る気がします。
麻生氏のナチス発言や、ドゥテルテ大統領のポーズがナチス式敬礼に似ているとか、インドネシアのヒトラー蝋人形撤去事件などです。
それについて思うところがあるので書きたいと思います。
言論の自由と制限
現在、世界で美徳として考えられているのは、自由主義、民主主義といったしそうですね。
これは多様性とも表現されいかなる意見も尊重されるという考えが主流になりつつあります。
(最近は行き過ぎな気がするけどね)
この表現の自由には、過激な思想も認められる。例に挙げれば、沖縄の極左言論活動、右翼街宣車や、暴力表現、性的表現といったものである。
しかし、これには一定の制限が加えられることがある。それが、国家、社会、国民に危害を加える言動である。
(殺人予告やテロ予告などがこれに当たる)
国の治安と国家の大事な部分を傷つける言動を取り締まることができるのです。(不敬罪とかですね)
ヒトラーはダメ?スターリンはいい?
さて、そんな多様性の世の中でなぜか、激しく言論弾圧される話題があります。それが冒頭で話した
ヒトラーやナチスは説明不要なほど有名ですね。ユダヤ人虐殺とかのアレです。
要は、ユダヤ人虐殺や大戦争のきっかけとなったヒトラー、ナチスは絶対悪でいかなる肯定を許さないとユダヤ人、欧米は主張しています。
まあ、ヒトラーを否定することで世界の新秩序を作り上げた連合国やドイツならこの理屈はわからんでもない。
なにせ、ドイツ人はヒトラーを否定しないとドイツ人のアイデンティティを守れないし、ヒトラーを絶対悪にする事で、自国の国威発揚になるのですから。
行き過ぎた批判
問題はここからです。ヒトラーを批判する勢力が海外まで手を伸ばしあらゆる国へ圧力をかけているのです。
日本も例外ではありません。
日本ではナチスの親衛隊の軍服に似てるとしてアイドルグループが攻撃されました。
また、最近ではインドネシアの蝋人形博物館でヒトラーの人形が撤去されました。
これはヒトラーという悪人を讃えるようや行為に対する抗議でしょうが、どちらも讃えてもいませんし政治的意図はありません。
まさしく難付けです。
また、悪人と言うのならなぜ、粛清狂いのスターリンや大量殺人の教祖毛沢東の存在は批判されないのか?
自国内で禁止することや、海外のネオナチを批判するのは勝手だが、政治的意図のないものをわざわざ外国まで目を向けて批判するなんて理解できません。
表現の自由は国それぞれ
ドイツではナチスは国民の琴線に触れるから禁止する。これはわかります。
しかし、政治的意図のない表現を海外まで見て禁止させる運動は、その国の言論の自由を意味もなく狭めているとしか言えません。
さいごに
ここまで好き勝手言いましたが、ドイツでは政治的意図がなくても右手を上げただけで捕まります。私はこれ自体も言論の自由の侵害だと思いますが、彼らが選んだ道です。
しかし、我が国にはそんな文化はありません。授業中には右手を上げら挙手をする自由。ナチのコスプレをして楽しむ自由があります。
インドネシアも同様です。蝋人形にする自由があります。
自粛する必要はありません。
こう言う言葉がなぜかリベラルでは出てこないので私が言いたいと思って書きました。
稚拙な文章でしたが、最後まで見ていただいてありがとうございました。