歪められた明治節
はじめに
こんにちは東条です。
今日は朝早くから登校しておりまして、家を出た時に今日も通勤ラッシュに揉まれるのかと憂鬱感に駆られていたのですが、行ってびっくり今日は祝日ですね電車はすっからかんでした。
なるほど、私の使っている電車では社畜が少ないということがわかります。
国民の祝日をしっかりと休みにする企業は素晴らしいですね。
私が通っている大学は祝日でもガンガン授業をする国賊学校です笑
今日はなんの日?
では今日はなんの祝日なんでしょうか。
カレンダーを見てみると「文化の日」となっているはずです。
一体どこらへんが文化なんでしょうかねえ?
では文化の日の一般的な概要を載せて見たいと思います。
文化の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としている。
1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年(昭和23年)に公布・施行された祝日法で「文化の日」と定められた。日本国憲法は、公布から半年後の1947年(昭和22年)5月3日に施行されたため、5月3日も憲法記念日として国民の祝日となっている。
お分かりでしょうか?
文化の日は「自由と平和を愛し、文化を進める」ことを趣旨とし、日本国憲法が公布されたことを祝う日でもあるわけですね。
「ん?憲法記念日もあるのになんでこの日が祝日になるんだ?」
「自由と平和とか漠然としすぎているのに祝日になるの?」
「文化と日本国憲法を絡めるのは無理やりすぎるのは?」
こんな疑問が出てくると思います。
実際、私も祝日法に書かれている趣旨ではまったく納得できておりません。
じゃあなんでこの日を祝日にしたのか?
これは実は戦前戦後を見なければ説明ができないのです。
明治節
日本国憲法が出来る前、帝国憲法下でも11月3日は祝日になっていました。
それは明治節(明治天皇がご存命の際は天長節)と呼ばれ「明治天皇のご生誕された日」だったわけです。
休日としては、1873年(明治6年)に公布された年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官布告第344号)以降1911年(明治44年)までは天長節、1927年(昭和2年)に改正された休日ニ関スル件(昭和2年3月4日勅令第25号)以降1947年(昭和22年)までは明治節として、明治天皇の誕生日による休日となっていた。
これはわかりやすいですね。現在も天皇陛下の誕生日は「天皇誕生日」として、昭和天皇の誕生日は昭和の日として祝日となっております。
GHQの文化破壊
ではなぜ現在は同日に意味のわからない漠然とした祝日「文化の日」なんてものがあるのか。
結論から言うと、GHQが日本から皇室を引き離そうとしたからです。
日本の歴史は皇室並びに天皇陛下と深いつながりがあります。
日本神話を見ても神武天皇から始まる皇室は日本を作った神様をルーツにしているからです。 当時の日本人のナショナルアイデンティティはまさしく世界に誇れる皇室にあったのです。
日本敗戦後、GHQ(連合軍最高司令総司令部)は日本弱体化の一環としてナショナルアイデンティティである皇室を国家、国民から引き離そうと画策しました。
GHQは神道指令で宗教を、人間宣言で権威を奪い次々と日本から皇室を分断していきました。
その一環として、歴史と文化を奪うために近代日本の象徴であらせられた明治天皇の誕生日に日本国憲法公布をぶつけてきたわけです。
皮肉にも日本人の近代文化を破壊するために文化の日は制定され、実質「文化破壊の日」として機能していたのです。
明治節の復活を
いま、グローバリズムが世界を駆け巡り、国際企業が林立し国家の力を越えようとしています。
国家の垣根がなくなり世界市民になるのかと思いきや、世界的にナショナリズムが再評価されています。
世界が統合すると同時に自分の民族を強く意識し埋没しないように動いているのです。
日本もその流れに乗る時が来ています。
グローバリズムに飲まれても自分は日本人であると言うアイデンティティを持ち続けるために、今こそ近代国家の象徴である明治天皇の誕生日を正式に祝う「明治節」を復活し、11月3日を悪しき日本国憲法から取り戻さなければならないと私は考えます。
明治節復活を願う署名活動は毎年行われています。
気になる方は1000万署名運動 | 明治の日推進協議会
さいごに
皆さんもこの日をきっかけに真の日本文化とは何かを考えて見てはいかがでしょうか?
ここまでご覧いただきありがとうございました。